DAY2 院長の健康観
健全な健康観とはどのようなものでしょう。健康の定義があいまいだと、どこに向かうかがぼやけてしまいます。
WHOでは「健康とは病気ではないことというような消極的なものではなく、心身共に充実して、生き生きとした状態」とあります。
ですが、これもつかみどころのない漠然としたものです。この漠然とした健康観に罠があります。
なんとなく、健康に不自由がないので、ついつまみ食いしてしまったり、階段の横のエスカレーターを使ってしまいます。
アメリカの医学博士、アンドリューワイルが提唱する健康の定義は、心と身体が、遺伝子、細胞、組織レベルで完璧にバランスの取れた状態を「完璧な健康」です。この定義においては、すべての人が健康ではありません。
下の表のように、飽食や運動不足をもたらす、安き現代文明が、我々現代人を上流から下流に少しずつ、流していき、知らない間に生活習慣病を患い、症状が顕在化して初めて医者にかかります、高度に進んだ医療は人を死なせないですが、ゆるい現代文明の川に浸かっている限りは心身は知らぬ間に脆弱化し、自立度は徐々に低下します。
上流から下流に流れに体を任せると自然と体は下流に向くでしょう。私たちが行うことはシンプルです。ただ、上流に振り向くだけでいいのです。気分が乗ったら、上流に足を運べばいいし、乗らなければ、下の方に後ずさりすることもあるかもしれません。大事なのはいつでも体が「完璧な健康」に向いていることです。