胃の中には塩酸(胃酸)があって、pH(ピー・エイチ)で1から1.5程度と非常に強い酸性に保たれています。ところが、わざわざ胃の中にすみついている細菌がいます。それがピロリ菌です。図2は、胃潰瘍などの患者さん1526人の胃の中を調べ、ピロリ菌の有無を確かめたうえで、胃がんが起こるかどうかを平均8年弱観察した結果です。観察期間中、36人に胃がんが発生しました。ところが、すべてピロリ菌がいた人たちからで、ピロリ菌がいなかった人たちからの発症はゼロでした。ピロリ菌の有無と胃がんの発症との関連を調べた研究はほかにもありますが、これほどはっきりした結果が得られたのはまれです。いずれにせよ、ピロリ菌と胃がんとの関連は確実と考えてよさそうです。ピロリ菌は除菌できますが、除菌してしまえば安全安心とはいいきれないようです。除菌によって胃がんの発症を減らせるのは確かですが、ゼロにはできないからです。
遺伝子よりも生活習慣
胃がんは日本人にとって多いがんの代表ですが、ほかの国ではかならずしもそうではありません。たとえば、アメリカ人やカナダ人における発症率は日本人のわずか8分の1です。そして、世界的には、日本、韓国、中国などの東アジア諸国に特異的に多いがんとして知られています。遺伝子の違いもあるかもしれませんが、アメリカに移住した日本人の子孫の胃がん発症率は、アメリカに住む白人並みに低くなっていくことも知られています(図3)。この事実は遺伝子よりも生活習慣の影響のほうが大きいことを示しています。
胃がんと食塩
図4は、食事習慣と胃がん発症率との関連を検討した結果です。この研究は、漬物、タラコ・スジコ、干物・塩蔵魚から摂取した食塩量が多かった人ほど胃がん発症率が高かったことを示しています。すなわち、食塩は高血圧と胃がんという日本人にとって特に注意すべき2つの生活習慣に関連しているらしいと考えます。ところが不思議なことに、みそ汁から摂取した食塩量や、調理や卓上で使う食塩量とは関連が認められませんでした。そして、食品すべてから計算した総食塩摂取量とも関連が認められていません。かならずしもすべての研究結果が一致しているわけではありませんが、これまでに行われた研究結果をまとめると、総食塩摂取量よりも、塩辛い食品の摂取量や摂取頻度のほうが胃がんの発症に強く関与しているとなります。食塩は発がん物質ではありません。それにもかかわらず、なぜ、食塩は胃がんの原因になるのでしょうか?そして、なぜ、食塩の総摂取量よりも、塩辛い食品から摂取する食塩のほうが胃がんの原因になるのでしょうか?くわしいメカニズムはまだ明らかになっていませんが、胃の壁が高濃度の食塩にさらされると胃の粘膜が傷つけられ、発がん性を持つ物質に触れやすくなり、がんの発症率が上がるのではないかとする仮設があります。しかし、私たちに必要なのは、細かいメカニズムではなくて実効策、つまり、食塩濃度の高い食品は控えることです。
お医者さんより電気屋さん
日本も含めていくつかの国で、家庭用冷蔵庫が普及するにつれて胃がんが減る傾向が認められています。1960年にはわずか1割だった保有率は、その後わずか10年で9割に達しました。洗濯機とテレビも急速に普及したので、胃がん死亡率の推移を冷蔵庫保有率の推移と安易に結びつけてはいけませんが、ほかの研究成果も考慮すれば、冷蔵庫の普及→塩蔵保存の必要性の低下→高食塩食品摂取量の減少→胃がん発症率の低下(→死亡率の低下)という流れが想像されます。というわけで、胃がんの減少に最も貢献した職業はお医者さんではなくて、街の電気屋さんだったかもしれません。
参考著書 佐々木敏のデータ栄養学のすすめ 佐々木敏